「私たち感の醸成」と社会の分断を考える – メディアと共通体験の意外な関係性

コラム

最近、為末大さんのニュースレターを読んでいて、
現代社会の分断問題について深く考えさせられました。

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実は、この問題については
複数の学術研究も行われているようです。

今回は、為末さんの考察と学術研究の知見を交えながら、
私の考えをお話ししてみたいと思います。

SNSだけじゃない!分断社会の意外な原因

為末さんはメールマガジンの中で
現在の「アメリカの分断」について取り上げていたのですが、

その原因として
SNSのフィルターバブルに加えて
「ケーブルテレビの普及」を挙げています。

アメリカは
ケーブルテレビがかなり普及しているそうで、
猫の映像を流すだけのチャンネルがあったりするらしいです。
(一日中流していたい!)

で、そのケーブルテレビの普及が
現在のアメリカ分断を加速させているというご指摘だったんですが、

これってすごく重要なご指摘だと思うんです。

「マスメディアからポリメディアへ」という研究でも、
SNSなどのメディア選択肢が増えていることが

エコーチェンバー現象
(同じ考えの人たちだけで情報を共有する状態)

を生み出すと指摘されています。

つまり、
自分の好きな情報だけを見られる環境が増えるほど、
社会は分断されやすくなる
んですね。

為末さんの言葉を借りると:

人の考えはそれほど固有のものではなく日々目にしているものに影響を受ける

私たちは「自分の意見は自分で考えた」と思いがちですが、
実は日々触れる情報に大きく影響されているんですね。

研究でも、これが裏付けられています。

「窮屈な日本」に見出した意外な価値

為末さんは子どもの頃に
日本の同調圧力や集団行動が「窮屈」と感じていたそうですが、

実はその「窮屈さ」が
「私たち感」を育む重要な役割を果たしていたかもしれない
という気づきは、とても興味深いです。

みんなで掃除をし、修学旅行に行く。大人になって一通り共通の思い出フォーマットで話ができる。

この「共通体験」が
社会の接着剤のような役割を果たしている、
ということですね。

研究では、
メディア消費が個人化することで共通の話題が減り
社会的分断が進むことが指摘されています。

日本の学校教育における共通体験は、
こうした分断に対する「予防接種」のような役割を
果たしていたのかもしれません。

自由と「私たち感」のバランスが鍵

為末さんは
「全体主義のようにみんなで朝同じことを唱えたり、
発言の自由が奪われたりするのは嫌」と述べつつも、

自然な形での「私たち感の醸成」の重要性を強調しています。

この「自由と結束のバランス」という課題は、
「ソーシャルメディアにおける分断化と情報選択の自動化」
という研究でも取り上げられているテーマです。

情報選択が自由になるほど
社会が分断するというパラドックスを
どう解決するか?

これは現代社会の大きな課題です。

「フェイクニュース時代におけるメディアリテラシー教育」
という研究が示すように、

単なる情報規制ではなく、
情報を批判的に読み解く力を育てることが重要なんですね。

為末さんの言う
「メディアと公教育が鍵」という指摘は
まさにここに通じています。

分断を超えるために

現代社会の分断は
ただの意見の対立ではなく、
メディア環境の変化と私たちの情報接触のパターンに
深く関係しています。

SNSやケーブルテレビによって
自分の好きな情報だけを見る習慣が定着すると、
社会はどんどん分断されていきます。

でも末さんが提案する
「メディアと公教育を通じた共通体験」によって、
「私たち感」を自然な形で育むことができるかもしれません。

日本の学校教育における共通体験や
ぱん食い競走のような伝統的イベントの復活は、
その一つの形なような気がします。

自由を守りながらも
緩やかな「私たち感」を育む。

難しいバランスですが、
これからの社会づくりに欠かせない視点だと思います。

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