SNSはなぜ使いづらくなったのか

コラム

かつて、SNSはもっと“静か”だった。
Instagramの創業当時、そこにあったのは「写真を通じて自分を表現すること」と、「気の合う人と自然につながること」だった。

でも今、私たちの目の前にあるSNSはどうだろう。
時系列で投稿が並ばなくなり、「おすすめ」「トレンド」「関心がありそうな投稿」が次々と流れてくる。
自分で何を見たいのかよりも、プラットフォームが「これを見て」と提示してくる世界。
かつてのInstagramを大切にしていた私は、Facebookによる買収以降の変化に、どこか深い疲労感を覚えるようになった。

そしてこれは、Metaだけに限った話ではない。
今やX(旧Twitter)もThreadsも、YouTubeもTikTokも、すべてが「アルゴリズム優先」の世界へとシフトしている。


アルゴリズムによる“支配”がもたらした構造的な変化

かつてのSNSは「人と人との関係性」や「自分の表現」に重きが置かれていた。
ところが現在は、「エンゲージメント」や「滞在時間」が評価指標となり、それらを最大化するためにアルゴリズムが支配的になった。

この構造の中で失われたのは、「自分で情報を選ぶ」という主導権。
つまり、自己決定感だ。

私たちは気づかないうちに、「選んでいる」ように見えて、「選ばされている」状態にいる。
この違和感を明確に言語化できないまま、毎日フィードをスクロールし続ける。
そして、気づけば心は疲れ、脳はオーバーフローしている。


自己決定感の喪失がもたらすメンタルへの影響

心理学には「自己決定理論」という概念がある。
人間が健やかに生きるためには、以下の3つの基本的欲求が満たされる必要があるとされている。

  1. 自律性(自分で選べているという感覚)
  2. 有能感(理解・コントロールできているという感覚)
  3. 関係性(人とつながっているという感覚)

アルゴリズム主導のSNSは、まさにこの「自律性」を真っ先に奪う。

たとえば、知らない人の投稿や刺激的なコンテンツが流れてくることで、「なぜこれが表示されたのか分からない」という感覚が生まれる。
これが積み重なると、「自分の意志でSNSを使っている」つもりが、「SNSに使われている」状態になる。

とくにASDやHSP傾向のある人は、こうした構造に対して非常に敏感だ。
意図しない情報が次々と流れてくることが、情報過多を引き起こし、注意資源を消耗させ、深い疲労や混乱をもたらす。
結果として、「なんだかSNSを見ているとしんどくなる」「気づけば無力感におそわれる」という状態に陥りやすくなる。


Metaの功罪と私たちのSNSとの付き合い方

Metaが作り出した「つながりのインフラ」は、たしかに世界を大きく変えた。
人と人との距離を縮め、遠く離れた誰かと感情を共有できるようにしたという意味では、その功績は非常に大きい。

しかしその一方で、関係性や感情が“収益装置”として最適化されるようになったことで、
本来の「つながる喜び」が「エンゲージメントに振り回される苦しさ」に変わってしまった側面もある。

Instagramの創業者たちがMetaを離れたのは、まさにこの価値観の違いによるものだったと言われている。
「美しく、整った、自分らしい表現の場」が、「おすすめフィードに埋もれた商業的な雑音の場」へと変質していく。
そうした変化に耐えられなかったのだろう。

そして私たちユーザーもまた、ただ受け入れるだけではなく、自分に合った使い方を見つけ直す時期に来ているのかもしれない。


自分を守るために、SNSとどう向き合うか

SNSはもう、かつての「日常の延長」ではない。
それは、“注意資源を奪い合う巨大な経済空間”へと変貌している。
このことを前提にしたうえで、私たちは「どうSNSを使うか」を選び直す必要がある。

  • 時系列フィードを選べる設定に切り替える
  • 自分にとって安心できるアカウントだけをフォローする
  • 発信する際は「誰に届けたいか」を明確にして自己決定感を取り戻す
  • 疲れたら意識的に距離をとる

それは、「SNSをやめる」ことではない。
「SNSとの関係性を、自分が主導権を握れる形に再構築する」こと。

私たちは、もっと“やさしい接続のかたち”を選んでいい。
そのためには、まずこのSNSの構造そのものに対して疑問を持ち、
「なんとなく感じていた違和感」に名前を与えることから始めてみよう。

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