最近、SNSやニュースで
『職場の「困った人」をうまく動かす心理術』
というタイトルの書籍が話題になっています。
それも
書籍の内容が称賛されているわけではなく
むしろ炎上という形で注目を集めています。
私自身はこの本を実際に読んでいませんので
内容の是非について論じるつもりはありません。
けれども、
今回の炎上の経緯を見聞きするなかで、
マーケティング戦略の失敗が引き起こした問題ではないか、
という印象を強く抱きました。
単なる「一書籍の問題」にとどまらず、
出版業界全体が抱える構造的な課題が
浮き彫りになった出来事だったと感じています。
この記事では、
その点について考えを整理してみたいと思います。
表現の自由とマーケティングの責任
まず、出版社である三笠書房は
「著者の表現の自由」を重視する姿勢を示しています。
これは基本的には尊重すべき姿勢だと思います。
多様な考えや視点が表現されることは、
健全な社会にとって不可欠だからです。
一方で、今回問題になったのは、
表現内容そのものではありません。
それをどのようにパッケージングし、
どう世の中に届けたかという、
「編集と販売戦略」の部分にあります。
具体的には、
- 書名のつけ方
- 表紙デザイン
- キャッチコピーや宣伝文句
これらが社会的感覚と大きくズレていたために、
多くの人の反発を招いたわけです。
著者に「自由」があるのと同様に、
出版社には「社会的責任」があります。
出版という行為は、
ただ個人が表現をするのとは違い、
企業として社会に対してメッセージを発信する行為です。
この点に対する感度が鈍っていたことが、
今回の炎上を招いた最大の要因だと考えています。
なぜ三笠書房の判断は波紋を広げたのか
三笠書房は、
長年にわたって幅広いジャンルの書籍を
世に送り出してきた老舗出版社です。
歴史ある出版社が出す本には、
無意識のうちに一定の信頼感や安心感を抱く読者も
少なくありません。
だからこそ、
- 「まさか、あの三笠書房が?」
- 「もっと慎重な判断をする会社だと思っていたのに」
といった失望の声が広がりました。
仮に、
無名の出版社が同じ失策をしていたとしても、
ここまで大きな社会的反響はなかったかもしれません。
つまり今回は、
出版社自身の「ブランド力」ゆえに、
炎上のインパクトも大きくなったと思うのです。
ブランドには「期待」がセットになっています。
その期待を裏切ったとき、
信頼の失墜は一層大きなものになる――
これは、
あらゆる企業にとって
肝に銘じるべき教訓だと思います。
出版社に求められる新たな「バランス感覚」
現代は、SNSを中心に
市民の声が可視化されやすい時代です。
- かつては届かなかった当事者の痛み
- 気づかれなかったマイノリティの視点
これらがリアルタイムで発信され、
共感を呼び、大きなうねりになることもあります。
そんな中で、
出版社が守るべきものは何でしょうか?
私は、次の3つのバランスを取ることが
不可欠だと考えます。
- 著者の表現の自由を守ること
- 読者をはじめ社会一般に対する配慮を欠かさないこと
- 自社の理念・社会的責任を明確に意識すること
表現の自由だけを盾にするのではなく、
他者の権利や社会的公益との調整を怠らない――
これが、
これからの出版社に求められる
新しいプロフェッショナリズムではないでしょうか。
「自由」と「責任」を分けて考える必要性
ここで強調したいのは、
表現をすること自体が悪いのではない
ということです。
問題は、
- どう表現するか
- どう伝えるか
- どんな意図を持って社会に投げかけるか
そして、
そのプロセスに責任を自覚しているかどうかです。
自由には責任が伴う。
これは表現に限らず、
すべての自由に共通する原則です。
出版社にとっての「自由」とは、
単に多様な本を出すことではなく、
その自由がもたらす社会的影響についても、
引き受ける覚悟を持つことだと私は思います。
今後、三笠書房に期待すること
今回の出来事を受けて、
私は三笠書房に対して単なる謝罪表明ではなく、
もっと本質的な対応を期待しています。
具体的には、
- 当事者団体との誠実な対話の場を設けること
- 出版企画段階からのリスクアセスメント体制を強化すること
- 全社員に対する社会的責任教育(CSR研修)を徹底すること
一過性の「問題対応」に終わるのではなく、
この経験を糧にして、
よりよい出版文化を育てるための社内改革にまで
踏み込んでほしいと願っています。
老舗出版社だからこそできる、
社会へのポジティブな発信があるはずです。
そして、今回の騒動を
「ただの炎上」として片づけるのではなく、
「なぜこうなったのか?」を丁寧に振り返り、
未来への種にしてほしいと思います。
終わりに
今回の一件は、
出版業界だけの問題ではありません。
- SNS時代における情報発信の難しさ
- 社会的弱者への想像力の欠如
- 企業が担うべき公共性
こうした課題を、
あらためて私たちに突きつけた事件だった
とも言えるでしょう。
一人ひとりが、
- 「これは誰を傷つけるかもしれないか?」
- 「この表現は、どんな影響を与えるか?」
- 「自分の自由は、誰かの自由を侵害していないか?」
そんな問いを持ちながら、
表現し、発信していく時代になってきています。
私自身も、
今回の出来事を通じて改めて
言葉の力と言葉の責任について考えさせられました。
この小さな気づきが、
社会全体にとっても、
未来への大切な一歩になればと願っています。
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